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2010-07-09 [思うこと]

昨日、留守電のお知らせボタンが点滅していたので再生しますと、私が子供の頃に大変お世話になった母方の伯母が3月にすでに亡くなられていたことを知らせる内容がはいっていました。

いろいろと事情があり縁遠くなってしまったこと、不義理を詫びる事も出来ずに逝ってしまわれました。

5歳の時に父親が勤務先の工場で機械に手を潰されて入院。
母親は父の付き添い、母方の田舎の祖父が上京し兄と同居、しかし5歳の私の面倒は無理と判断した母は、伯母の家に預ける決心をします。

伯母の家は床屋を営んでおり、ご亭主と他に人を二人程雇い、そこそこ盛況だった記憶があります。
ドラマなんかですと、預かった子供を邪険に扱って涙を誘うなんて展開になりますが、本当に可愛がって貰いました。

床屋は、そこそこ遅くまで営業しており店の片付けやら食事やらで、銭湯に行くのは8時位だったかと思います。
当時銭湯には牛乳が置いて無く、近所のパン屋さんで牛乳(もちろん白じゃないですよ(笑))を買ってもらってから銭湯に入り、盗まれないよう脱衣カゴの下の方に置いて風呂からあがってから飲んだものです。
何故買ってからと申しますと、銭湯から出た後ではパン屋さんもさすがに閉店していたからなんです(笑)

そうそう、床屋のご主人は私のパチンコの師匠でもあったのです。もちろん違法ですよ(笑)
戦争帰りの伯父は、やはり破天荒な下町のオヤジでした。
そんなある時、一緒にパチンコに興じておりましたところ、トントンと肩を叩かれ、見知らぬ男の人から「お父さんどこ?」と尋ねられ。
病院とも言うわけにはいかず、伯父を指さしますとその男の人伯父に向かって「困るんですよねぇ~」と(笑)
そこで私はパチンコを卒業することとなります。。。しかし、近所の悪ガキとはたまに潜り込んでましたけど(笑)

ある時は父の病院へ行くので、私をスーパーカブの後ろに座布団縛り付けその上に乗せて走ってました。もちろん原付ですから二人乗り禁止です(笑)

それで一度白バイに捕まりましたけどね(爆)

父が退院してからも、髪の毛を切りに月に1回ぐらいは母と遊び行ってました。
本来ならお金を払うべきところを帰りには必ずお小遣いをくれました。当時で100円くらいでしたけど、貧乏少年にとっては本当に有り難かたかったです。

高校生になってからも髪の毛を切ってもらってたのですが,「今度修学旅行で萩やら津和野へ行く」という話をして帰ったその日、ポケットに手を入れると千円札が数枚入っていました。
伯母がこっそり入れてくれていたのです。
それで萩で夫婦茶碗を買って帰りました。後で母に聞いた話では伯母は「そんなことをするようになったのか」と喜んでくれたそうです。

その後、お店は立ち退きを迫られその場所から離れます。
別の場所に移転して店を息子さん主導にして再開しますが、息子さんのギャンブル好きが原因で手放すことになります。

幸せ、伯母の幸せって朝から晩まで一生懸命働いていた、その時だったのかなと考えたります。

東京大空襲の時は、義理の母を背負って炎の中を逃げ回ったと聞きます。
そこまで元気だった伯母を知ることは無かったですが、笑顔と声は心に刻んであります。

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ほんのり

こんばんわ♪

伯母さまのご冥福をお祈りいたします。
私達も(一緒の年代にして良いのかな?)だんだん、こういうお知らせが多くなった年頃になってしまったのですね。

先日、父の妹、伯母さんに用事があったので電話したのですが、こちらの名前を名乗ると…
「あ、お兄ちゃんに何かあった???」が、第一声でした。
「イエイエ((~∇~ )( ~∇~))イエイエ、父はそれなりに元気です。。。」と(゚ー゚;Aアセアセ
by ほんのり (2010-07-09 21:39) 

からくさ

niceは お線香の代わりです。

叔母様のご冥福をお祈りします。
by からくさ (2010-07-28 08:39) 

麺

niceは お線香の代わりです。

叔母様のご冥福をお祈りします。

by (2010-07-28 08:42) 

ぱんだぞう

素敵な思い出ですね。

伯母様のご冥福をお祈りします。
by ぱんだぞう (2010-08-30 09:31) 

ちょんまげ侍金四郎

ナイス&コメント誠にありがとうございました。
御礼がひとくくりで本当に申し訳ございません。

かなり時間がたってしまいましたが、少々ございまして、おって記事にさせて頂きます。
by ちょんまげ侍金四郎 (2010-09-13 13:57) 

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