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年賀欠礼 [思うこと]

喪中はがきが今年も来ました。
自分の親の時は、きちんと送付すべき相手に送らなければという、そこに神経がいっていて一苦労なのですが、逆に自分がお世話になった方からくると精神的ダメージが来るものですね。
七十三歳、まだまだ早いです。
プロラボ時代に写真のイロハを教えていただいた部長でした。
写真といっても、フィルムの時代ですから現像からデュープやらと、まさにアナログの時代の修業をさせて頂いた師匠ともいうべき方でした。

ちなみにプロラボとはプロのカメラマンから依頼を受けて現像から紙焼き(プリント)、デュープ(ポジフィルムやネガフィルムからポジフィルムの複製)を行う裏方の仕事をする現場です。

部長との思い出はたくさんあるのですが、一番はなんといってもお相撲さんの撮影をされたプロカメラマンからの印刷用に使用するポジフィルムの複製の作業でした。
難しかったのが肌の色とまわしの色の再現をどこまでやるかということでした。

まずはテスト撮影を数回やり部長のチェックをうけて、そこでフィルターのデータを補正して撮影しなおして現像機にかけるのですが、力士の全部がそれでOKということにはならず、さらにやり直しとなる力士もいて、またデータ補正して撮影から現像となります。
ちなみに現像には、およそ一時間かかります。幕内力士全員でしたので、なんだかんだと終わったのは翌朝でした。

もちろん亡くなられた部長は最後まで付き合ってくださいました。
でも最後に現像機のある地下から仕上がり品を持って上がっていったら、作業台で横になっておられましたっけ(笑)
その記憶はいまだに鮮明に残っています。

もう一つ印象にあるのは、経営者を含めた幹部の会議から戻られて「これからの写真はコンビニエンスでなければならない」という意見に対して憤慨されていたこと。
部長は、写真が好きで大学もそこに特化した国立を卒業していたこともあり、その思い入れは半端では無い方でした。
ですから、部長にとって写真は芸術作品だったのでしょうね。

私が入社したのが平成元年、あれから28年、今では当たり前のようにパソコンが色の補正をしてくれて自宅のカラープリンターで出力ができてしまう。
部長はどう思われていたのでしょう。。。

私自身、やりたい方向性があったので三年で退社してしまい、義理を欠いたことのお詫びを兼ねて年賀状だけは続けさせていただいていました。

私の記憶の中には、剣道二段口ひげをたくわえた40代の働き盛りの部長の映像が未だに残っています。

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momotaro

喪中はがき、寂しくなりますねぇ
かつてのお仕事の情景、拝読しました。大変でしたねぇ
by momotaro (2016-11-25 11:00) 

majyo

喪中葉書が届いています。
親ばかりでしたので、少し安心しましたが
73歳はまだ早いですね
お仕事時代の事を書き、多くの方に読んで頂き
元上司の方も喜んでいると思います

by majyo (2016-11-25 20:30) 

十円木馬

私もそうですが、新卒で入社され、最初に関わった上司は、いつまで経っても忘れられない存在になりえます。上司の方の言動、考えが、金四郎さんの人生に何がしかの影響を与えているかと思います。
by 十円木馬 (2016-11-26 11:28) 

はなだ雲

喪中はがきが舞い込んで・・・
いまでは年賀状だけのお付き合いとなってしまった
故人との思い出を辿ってブログに綴る
かけがえのないひとときですネ
by はなだ雲 (2016-11-27 07:31) 

ナツパパ

わが家にも数葉、喪中ハガキがやってきました。
寂しい気持ちになります。
by ナツパパ (2016-12-01 13:49) 

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